コラム
前頭前野
1848年秋、アメリカ合衆国バーモント州の鉄道建設現場で不幸な事故が発生した。
岩盤爆破の準備作業中にダイナマイトが暴発、火薬充填用の金属棒(6kg)が、実務にあたっていたフィネアス・ゲージ(25歳:当時)の前頭部を貫通した。
爆風と衝撃で、ゲージは30m近く吹き飛ばされたが意識はあり、支えられながらも病院まで歩行して行ったという。
これだけの事故に合いながらも、事故後10週間程度で五体満足にまで回復したことは奇跡と形容してもいいだろう。
冒頭「不幸な事故」と表現したのは、事態がこれで収束しなかったからである。
ゲージはもともと、精力的に仕事をこなす人格者として周囲から認められていた。
親切で有能な上に責任感が強いことから、若くして現場監督に抜擢されたことも無理からぬことであった。
しかし事故後、このゲージの人格が別人になったのである。
元の職場に復帰したゲージは、もやは以前のゲージではなかった。
粗暴で衝動的、気に入らないことには感情を爆発させるようになっていた。
周囲とのコミュニケーションもままならず、職場を追われた後は、様々な職業と転々としたという。
爆発事故は、まさにゲージの人間性、社会性、知性を破壊したのであった。
ゲージの症例を糸口にして、人間性、社会性、知性は前頭部に宿ることが確認された。
脳のこの部分を前頭前野と呼ぶ。
人間の前頭前野の面積は、サルや他の動物に比較して突出して広い。
このことからも、人間を人間たらしめているのが前頭前野であることが明らかであろう。
近年、起きている人間の脳の様子を外部からモニターする技術が、次々と出揃ってきた。
ファンクショナルMRI、光トポロジーなどの装置がそれだ。
会話などのコミュニケーション中の脳を、これらの装置で調査すると、前頭前野への血流量が増加していることが目視できる。
言葉を解さない乳幼児であっても、家族に話しかけられている最中の前頭前野は、血流が活発になるという。
ここから、生きたコミュニケーションが、知的発達を促進することが確認できるのだ。
一方、テレビを見ている最中の脳は、視覚処理に忙しく、前頭前野に血流を振り向ける余裕はない。
長時間のテレビ視聴は前頭前野を窒息させるに等しいのだ。
発育中の乳幼児が、このような環境に置かれれば、社会性、知性の発達に大きなリスクとなるだろう。
乳幼児にはテレビ視聴よりも、話しかけや読み聞かせが必要なのだ。
ゲージには気の毒であるが、脳科学がこの事故から得た知見は多い。
せめて、子どもたちの前頭前野の成長に逆行することだけはしたくないものだ。
ゲージの頭蓋骨と、彼の人生を変えた金属棒は、今もハーバード大学に保管されている。
前頭前野の機能を引き出す勉強法は「試験前に脳強化」参照。
参考文献
川島隆太「子どもを賢くする脳の鍛え方」小学館,2003年
参考サイト
http://www.tmin.ac.jp/medical/10/frontal1.html
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/41/index-41.html
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2005/09/05