科学史の人物
アイザック・ニュートン
生1642
没1727
1642年、ニュートンはイギリスのウールスソープ村で生まれた。
この3か月前に父親が他界し、母親も再婚したため、幼少の頃のニュートンは祖母に育てられた。
小学校時代は、体が弱く、腕力にも乏しいため、周囲からいじめられることが多かった。
一方で工作や勉強は良くできたらしい。
1661年にケンブリッジ大学に入学するが、学費が足りないので雑務をして学資を得る給費生となった。
在学中、ニュートンの人生と科学史を変える事件が発生する。
ペストの流行がケンブリッジの町を襲い、大学が閉鎖されたのだ。
やむなくニュートンは故郷ウールスソープ村に帰り、大学が再開するまでの18か月をそこですごした。
この間の独学によってニュートンは、万有引力の法則、運動の法則、微分積分学に到達した。
光学の実験を行ったのものこの時期である。
後にニュートンは、この間を「人生最高の創造時期」と語っている。
「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」
ニュートンが自身の発見について語った言葉である。
巨人とはガリレオやケプラー、コペルニクスを指している。
大学再開後の1669年、ニュートンは教授職になり、1696年に造幣局長、1703年に王立協会会長と順調な人生を歩んだ。
近代科学の基礎に大きな影響を与えたニュートンではあったが、錬金術に傾倒する一面もあった。
フック(フックの法則の発見者)との確執も伝えられている。
微分積分学はライプニッツも同時期にニュートンとは独立して発見している。
ニュートンの発表はライプニッツよりも遅かった。
リンゴの落下を見て、万有引力の法則を思いついたというのは逸話に過ぎない。
ニュートンの生家では、そのエピソードのきっかけとなったリンゴの木が今も葉をつけている。
万有引力発見300年にあたる1964年、記念行事として小石川植物園がイギリスからこのリンゴの苗木を譲り受けた。
ここに行けば、日本国内でもニュートンのリンゴを見ることが出来る。
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2006/01/09