物理学解体新書

なぜ、レポート提出を求めるのか

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キチンとしたレポートとは

理工系の教育機関は、学生に「実験による検証」を体得させようとしている。
それは、研究・開発の現場では、「実験による検証」が繰り返し求められるので、それに備えてミッチリ仕込もうとしているからだ。


研究・開発の現場では、「実験による検証」の都度、レポートの提出が求められるのは見た通りだ。
当然、理工系の教育機関も、キチンとしたレポートを作成できるように、指導しようとしているのだ。
課題をこなして、後かたづけして終わる実験はない。
必ずレポートとしてまとめなくてはならないのだ。


キチンとしたレポートとは、第一に「実験による検証の結果、仮説が真理なのかどうか」が分かるレポートなのである。
例えばメーカーでは、「設計が目標とした性能を達成するのかどうか」がレポートから読み取れる必要がある。


しかし、検証結果のみが書かれたレポートは許されない。
「目標通りの結果がでたので、設計は妥当です」と書いただけでは、レポートにならない。
読んだ人が、この実験の全体像を把握できるよう書く必要がある。


「全体像を把握できる」とは、そのレポートに従えば、他人が同じ実験を同じ条件で再現できるということだ。
このような、他人による実験の再現を追試という。
追試が可能なように記載されているレポートが、いいレポートなのだ。


今の話と矛盾するようだが、追試が可能なレポートを作成することによって、無駄な追試をしなくてすむ。
企業は少しでも早く、設計を完了させ、製品を発売したい。
研究機関は、少しでも早く、新発見を発表したい。


つまり、実験には無駄が許されないのだ。
実験結果を再度確認したいのに、レポートの記載に不備があったりすれば、再度同じ実験をしなくてはならない。
実験によって設計ミスが確認され、そのミスの詳細がレポートとして残っていれば、他の開発技術者が同じ設計ミスを繰り返すことなく、会社全体の効率アップに結びつく。


繰り返すが、レポートは「実験やりました。こんな感じでした。」ではすまされない。
他人が、内容を容易に理解でき、追試ができなくてはならないのだ。


追試ができるレポートとは、そのレポートをお手本として、そのレポートだけを見ながら、他人が同じ実験を再現できるということだ。


一般にノートは自分のために書く。
主語・述語の関係が不明確で、文法が成り立っていないノートであっても自分さえ分かればいい。
字が汚くて、誰も読めなくて、書いた本人が不自由なく使用できれば、目的は達している。
別にノートはキチンとしていなくてもいいのだ。


しかし、レポートは他に読ませるために書いている。
企業や研究機関に勤務する人は、報酬(月給、売り上げ等)を得て仕事としてレポートを作成する。
報酬を得る以上、そこでは、レポートは売り物なのだ。


教育機関は、実験後、自分のやった実験を適切にまとめる能力を身に付けさせようとしている。
将来、売り物になるキチンとしたレポートが作成できるようにしようとしている。

■最初のページ:実験レポートの書き方


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2005/09/04



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