物理学解体新書

なぜ、実験課題があるのか

HOME実験レポートの書き方なぜ、実験課題があるのか>理工学にとっての実験の意義


ここでは、学校側が学生に実験を求める意図を解説しよう。
ただし、ここでの解説は主に「たてまえ論」だ。
本音や実態は、これと異なる場合が多い。
しかし、この「たてまえ論」を押さえておかないと、単位に結びつくレポートを書くことができない。


理工学にとって、実験の意義は大きい

古代ギリシアの科学は思索が中心であった。
自然現象の原理原則を究明しようとする試みは、思索によってなされた。


「万物の根源は水である」という説があった。
提唱者タレスはまったくの思いつきで言ったのではない。
自然現象をよく見て思索し、そのように考えるのが妥当だと判断したからこの説を提唱したのだ。


この時代、すぐれた説はより大勢を説得できる説であり、より多数を説得できる説が真実とされた。
だから古代の科学者は論説や弁舌にも優れていた。


あらゆる物質の根源が水であるか、古代ギリシアの人々は実験で確かめようとはしなかった。
実験するための機材がなかったからではない。

実験で検証しようとする発想がこの時代になかったのだ。
自然を思索のみで理解しようとする試みは中世まで継続した。


科学に実験による検証を持ち込んだのはガリレオであった。
ガリレオ以後の科学・理工学は、仮説を実験・観測で検証し真理を導くことによって、その内容を蓄積してきた。
実験事実、観測事実と一致する説が、すぐれた説であり、誰がいつやっても理論通りの結果が再現する説が正しい説とされた。
これを真理という。そこには弁舌の上手下手はない。


仮説が、真理として認知されるためには「実験による検証」という試練を乗り越えなくてはならない。
試練に耐えられない仮説は、修正され再度検証に臨むか、もともと誤りであったため落伍していくことになる。


燃素説、エーテル説などは、多くの支持者を得ながらも、科学からの退場を余儀なくされた。
検証をパスできなかったからだ。
「実験による検証」は極めて非情なプロセスだといえる。


しかし、この仕組みがあるからこそ、科学・理工学を健全に保つことができる。
誤った仮説の暴走を食い止める作用があるからだ。
真理は弁舌ではなく、客観的な事実によってのみ導かれる。


このような厳格な運用があるため、科学には排他的な印象がつきまとうが、それは誤解である。
「実験による検証」という最低限のルールを守れば、誰でも仮説を提案できるし、議論に加わることが可能なのだ。
しかし、ルールに準拠できない者には、極めて冷たい。
「ルールは守れないが試合に出たい」という要望を認める競技はない。スポーツも科学も同じである。


ガリレオ以前の科学は遅滞していたが、ガリレオ後に急速に発展した。
この違いは「実証を経たものを、真理として受け入れる」というスタンスの有無に起因する。
現代の科学・理工学は実証を重んじているのだ。実証の有効な手段が「実験」なのである。


■次のページ:実験による検証のプロセス


このページのTOPへ



スポンサーリンク

2005/09/04



スポンサーリンク

Amazon.co.jpアソシエイト



スポンサーリンク

Amazon.co.jpアソシエイト